投稿者: flowdesignforall

  • 組織作りへの伴走

    組織作りへの伴走

    1年近く経っての更新となるこのESSAYページ、これが私のペースなのでこれでいいんですがとても久しぶりに書きたくなりました。
    三男を妊娠中にはまたしてもつわりが重く、そしてその後も出産まで2つの心臓と4つの肺を回していく中で、場面場面で整理や決断の必要性があり、振り返れば夫ともにその都度両手からこぼれ落ちるギリギリのところでTO DO対応してきたように感じています。目の前の生活や子供たち、クライアントさん対応がプライオリティの上位を占め、いわゆるプライオリティリストの中で本ホームページの更新は遥か下の見えないところに位置し、それは出産後も当然ながら基本的に上がることはありません。ただ、時たま予告なく私の中でムクムクッと「更新したい」意欲が湧き、ワードプレスの醍醐味でもある5分10分で文章を編集したりササッと調整するというような状態が続いていました。
    また、本ホームページの新着情報でご紹介するのは制作物ディレクション案件が多いですが、それは一言で言うと掲載しやすいため。大体の期間が決まっており、成果物も明確で、オープンにできるトピックであるという。実際の案件は中長期でのご相談が多く、ESSAYで触れられる内容ではないことと、そしてトップページに長らく載せていた「その時その組織で必要なスポットサポートを」という表現は実態と合致していないことももう何年も気付きつつそのままになっていたのです。
    それが、先月の終わり頃からホームページへの関心が高まり、それは「更新しよう」という意欲へと変わり、この度ワンフレーズも「そのとき必要な伴走を。」へと更新し、ESSAYについてもちょうど先週の都内出張を機にここ1年ほど感じ考えていたことを言語化してみようと思い立ち、こうして文字にする作業へと進みます。

    クライアントさんからの具体的なご要望や課題について、SNSはもちろん、本HPにおいても触れることはありませんが、ここ数年、いわゆる人材採用 ー 人材育成 ー 組織改善 のご相談を多くいただくようになってきていると感じています。実際に案件として抱えている2つが5年以上の関わりということもありますが、その他にも契約には至らなかったものの「東京チームをマネージしてもらえないか」「まずは見て(かかわってみて)ほしい」「会社のスタッフらとの関係性に悩みがあり、相談に乗ってほしい」といったお話をいただいてきたことや、最近には「現クライアントさんとの仕事において、澤さんの領域や役割とともに、社長とはどのように連携・すみわけしているのか可能な範囲で教えてほしい」とピンポイントでご質問いただくことが出てきました。
    自己紹介ページでも記していますが、私の場合には、ベースとなっているのは大学卒業後に所属した会社で日々の業務を通じて体得してきたものです。振り返れば常に課題には事欠かなったことと、今現在もそうですが試行錯誤し続けておりずっとその勉強やPDCAサイクルの中にいるようなイメージで、常に更新し続けているような感覚を抱いています。
    2年前の初夏に三男を出産して以降は確かに私のフットワークは落ちていますが、それでもありがたいことに仕事を続けられており、様々な角度から組織作りのお手伝い(という名の実務)やご提案をさせていただいています。

    組織作りに際しては、大なり小なり組織には課題があるものであるという前提のもと、介入や改善の強さやその必要性があるかどうかから考えます。あわせて、エンゲージメントやモチベーションの向上が組織の成果へ繋がることを踏まえ、よりよい形はどういう組織であるかを経営者とともに描き続けます。また、現場のスタッフAさん固有の課題なのか、それとも組織的な課題であるのか。これは私の体感値の範囲ですが、比較的多いケースとして、個人の課題であったとしても、必要な介入がなされていないことによって組織的な課題へと発展している場合があるように感じられます。
    組織の人数に限りがあり兼務されている状態であることや、経験豊富な人事の専門家がいない場合もあり、時として社長自らが介入していくことが最善であることもあり、それをご本人へ指摘させていただくこともあります。長らくその状態にある組織というのは、紐解きにも時間がかかり、その間新しいメッセージを発信し続けることが重要です。人はそう簡単には変わらないことも多く、個々のスタッフの意識を変えるというステップは骨の折れる作業でもありますが、個人の性格や特技・特性に寄り添った変化を促すことや、社長のしっかりとしたメッセージを受け、少しずつでも変化が見えてくると俄然変化の速度が上がっていきます。
    組織の在り方への正解は1つではなく組織の数だけ答えは存在し、組織の状態や状況からプラクティカルな判断が必要な場合も往々にしてあり、一歩ずつでもより働きやすい組織作りへのお手伝いをと考えています。業務/役割の整理や、それこそ部門の区切り方、実務の流れや課題をお聞きして再編成をお手伝いすることもあります。組織図の形を根本から大きく変更するご提案を差し上げることもあります。

    あわせて、時として実際に私がその組織の人と直接向きあうことがあるのですが、その際に最も大切なのは、私が信頼される人間かどうかであると考えています。私からの言葉に聞く耳を持ってもらえているのか、これはなかなか一朝一夕には解決も飛躍的に伸びることもなく、私自身も休憩しつつです。よくも悪くもどこまでいっても生身の人間なので対応にもムラが出てしまう可能性はあり、また、人の情緒や感情・思考を扱うものはAIで置き換えられるものではないように考えています。

    人の話というのは守秘義務があるため具体的には書けませんが、私自身が仕事上で意識していることは以下のようなことです;
    —–
    ・何らかの強い感情(怒りの連絡をうける、相談される、泣きながら話される)に直面した際には、相手の状況や心理状態をできるだけ詳しく想像する
    ・一呼吸おいて対応する時とすぐに対応する時、これらを逐一判断することを怠らないようにする
    ・対面でのMTG、オンライン、通話、チャット、メールを使い分け、タイミングも考える(こちら理由で対面は叶わないことが多い)
    ・どんな些細なことでも、自分が言ったことは最低限守る
    ・自分の意見なのか会社の意見か、トーンは柔らかくも言葉ははっきりと用いる
    ・組織図は実際に即している必要があり、何度でも更新すればいい
    ・組織図のフォーマットも人員体制も部門の作り方も正解は1つではなく、自社オリジナルを常に考え続けるスタンスが望ましい
    ・判断を先延ばしにしないよう社長に伝え、間違ってもいいがその都度判断してもらうことを意識する
    ・何事も無期限にしない
    ・伝えるタイミングや言葉選びには細心の注意をはらう
    ・思い切った決断をする必要がある際には、ご自身の中でしっかりと覚悟を決める
    ・マンツーの会話はできるだけ避ける、ないしメモでいいので文字にして履歴を残す
    ・そういう見方もあるのかと一旦受け止める、が、それは受け入れるべきではないという場合にはしっかりと言語化する
    ・誰から伝わることがベストなのか;最も得たい結果に近づけるための選択をする
    ・全員にいい顔はできないが、悪者になって突き放せばいい/厳しくすればいいという話だけではないことを真に理解する
    —–

    この箇条書きの内容については、折々で加筆修正削除していくことになりそうです。そうして自分自身もより己の考えを整理し、実務へと移し、クライアントさんに貢献していけるよう努めていきます。
    そう、このESSAYページはいつしか自分自身のためのエッセイ集としての役割が大きくなっています。

  • PORTAGEという新しい概念との出会い

    PORTAGEという新しい概念との出会い

    ひょんなことから、先日我が家にカナダからの来訪者がありました。6歳からカナダで育ったという日本人女性と、彼女の旦那さん(韓国系カナダ人)、中国系カナダ人のビジネスパートナー、そして1歳に満たない男の子。私のクライアント先の新規取引先で、カナダからの初来社。私も「はじめまして」とご挨拶をさせて頂くことになるはずだったのですが、その前の日にプライベートでお会いすることになりました。
    その理由が、周辺観光を聞かれたので利根沼田~桐生エリアをご紹介させていただく中で、先方のお子さんが我が家の三男とほぼ月齢が同じであることを知り、ご夫婦ともにアウトドアで過ごすことがお好きともお聞きしたので 片品村にお誘いしてみたら足を運んでくださるとのこと。5日ほどホテル泊だったこともあり、「一緒に離乳食はいかがですか?」と自宅へお誘いしてみたところ、是非にと。毎季節毎年たくさんのゲストが我が家と夫の運営する宿泊施設を行き交ってくれるものの、まさか離乳食を用意してゲストをお迎えする日がくるとは!人生って本当に面白い。

    その日は、夫も休みがとれた日曜日。我が家も珍しく家族全員そろってゲスト4人をお迎えしたのですが、長男次男は英語のゲストにドキドキ興奮気味。小3からの英語の授業とALTの先生のおかげで、全力で照れながらも積極的にコミュニケーションをとろうとする姿が微笑ましい。個人的には、とてもきれいなアメリカ英語が耳に心地よく、抑揚やスラングも懐かしく、そして「こんな表現もあるのか」「そうか、こう言うのか」など刺激的な時間になりました。
    1つ印象的だったのが、離乳食や食事用スタイをテーブルに出しながらふと目をやると、旦那さんが長男に「Where is your room?」と聞いていて、???だったシーン。いい時代だなと感じたのが、彼が翻訳アプリを出してきて、「Where is your room?」と話しかけたら「あなたのへやはどこですか」と。数分後には、長男も、自分の学習用iPadに自分で翻訳アプリをダウンロードし、2人で直接会話を始めていたこと。今までは、照れながらも「ママ、~って聞いてよ」「なんて?」と間に入るのがルティーンだったのですが、アプリを介してダイレクトにコミュニケーションが図れた今回の体験は、彼の心に深く残ったのではないかと思いたい。ほんのすこし、世界が広がったのだろうとも思いたい。と同時に、大げさは承知で「アプリでいいや」と言語学習を放棄してほしくないとも感じました。今はいいけど、親の勝手な願いとしては、そのうちまたもう一歩先の気付きがあることを期待したいです。

    さて、自分ひとりではたどりつけないトピックへと誘われるのも、パートナーのいる良さとしてこの12年間感じていたのですが、 今回もまた面白い学びがありました。それは、カナダの「ポタージュ」という文化。辞書で調べると「〔ある水路から別の水路までの〕連水陸路」「ポーテージ、ポーティジ(英語:Portage)は、英語で「運搬」、「陸路輸送」などを意味する言葉。」。少し調べてみると、由来としてはフランス語の動詞(porter/ポーター)で、英語では『運搬』『着用』などいくつかの意味があるとのこと。
    夫を介した会話の中で、片品村がウィンタースポーツ、尾瀬をはじめとするトレッキング、山登り、フライフィッシング、そして近年は片品村の中でも特に標高の高いエリアにある湖でのSUPやカヌーも人気であるという話になった時のこと。カナダのその雄大な自然については私が言及する間でもありませんし、もちろん様々なアウトドアアクティビティがあることも想像がつきますが、旦那さんが「カナダは湿地や沼・湖がとても多くて、そんなエリアだとカヌーを担いで湖をホッピングしていくような楽しみ方もするよ」と教えてくれたのです。私の英語力ではカヌーを担ぐと聞こえたのですが、私の理解が正しいのかが分からず、聞き直しました。すると、「Yeah, like I said, you hold your canoe like this and walk from…」とやはりヨイショと担ぐという。まだ半信半疑だった私を前に、Googleで画像検索をしてくれ、この黄色いサインを見て心底驚くとともに納得。

    Google画像検索にて「portage canadian canoe sign」と検索

    後日調べてみると、川や湖を船で航行する際に一時的に陸路で移動し、再度水路に戻る場面でportageが行われるという。この行為自体は確かに少し技術が必要で、カヌーやカヤックのような船舶を用いたアウトドア活動や探検においては必要不可欠なスキルとも言えるそう。大自然における冒険やチャレンジを楽しむ人には馴染みのある概念とのことですが、私は初めて出会いました。
    Wikipediaで調べると、次のように出てきます。Portage or portaging (CA: /pɔːrˈtɑːʒ/US/ˈpɔːrtɪdʒ/) is the practice of carrying water craft or cargo over land, either around an obstacle in a river, or between two bodies of water. A path where items are regularly carried between bodies of water is also called a portage. The term comes from French, where porter means “to carry”, as in “portable”. In Canada, the term “carrying-place” was sometimes used.

    最近は、知らない単語に出会う際に、その言葉が異なる言語では存在しないことや知らない概念に出会うことが特に面白い。人生で、まだまだ知らない概念に出会いたいと強く思いました。

    ※写真は今冬も終わり頃の、富士見峠の写真。なんとも表現し難い素晴らしい景色を、家族と姉家族と一緒に見られました。

  • Practicability;それは組織に馴染むだろうか

    Practicability;それは組織に馴染むだろうか

    フリーランスになり3年が経ちました。おかげさまでクライアントさんにも恵まれ、ここまで自ら営業することなく 常にいい量のお仕事をいただいています。
    この間、私自身の中でも幾度もの自問自答や、我が家を行き交ってくれる多くの友人知人らとの会話からヒントをもらい、自分の仕事のあり方・スタンスを見直してきました。クライアントごとの業種や業態は異なるとして、自身の在り方を定期的に俯瞰すること;いつからか、それを意識的におこなうようになっています。

    私が仕事において事あるごとに照らし合わせている視点に、Practicabilityというものがあります。先に、意味合いとして;
    ——————–
    原型の Practical【形】
    〔理論ではなく〕実際の、実務の
    〔行為・問題などが〕実際面に関わる(解説的語義)、実際の,実際的な,実践上の,実用上の(⇔theoretical)
    〔人が〕実務経験がある、問題解決能力の高い
    〔仕事などが〕実務に携わる、現場で行う
    〔知識などが〕実用になる、実用的な、実際に役立つ
    〔物が〕日常の、普段用の、飾りのない
    〈話〉実質的な、実際上の

    Practicabilityとは、実行できること、実行可能性、実用性、実現可能性
    the quality of being able to be done or put into action
    the quality of being able to be done, or of being likely to be successful
    Synonymとしては、feasibility


    例えばフレーズになると、以下のように使用されるという。
    economical practicability 経済的実用性
    technical practicability 技術的な実行可能性
    idea with little practicability 実用性の乏しい考え[提案・アイデア]

    いつしかこの言葉は私自身にしっくり馴染むようになりました。端的に言うと、組織・経営状況が安定して基礎能力の高い人が集いやすい中-大企業では功を奏する判断であっても、ここの社風やメンバーの気質ではどうだろうかという視点です。人数が少ない場合には更に、個々人の能力が最大限に活かされるよう環境を整備する方が、理想を掲げてそこに突き進むために人を育てるよりもPracticabilityが高い場合もあります。目指したい方向性を掲げることが好転する場面と、机上の空論ではないか/理想論ではないかといった混乱や反発を生むこともあり、そこには繊細な差があると感じるに至りました。
    また、自分自身が外部スタッフであり、自身として時間を限り、その中で実利益が上がるよう組織と活動へ働きかける。そうすると、必然的にアンテナを適宜精査し、省み、つまり様々なことをそぎ落としていくことになると気が付きます。

    何らかの議題を検討する際、また、なんらかの対策を講じる場面に直面した時に、私はこの単語を定期的に脳裏に浮かべ、いったりきたり考えることを意識しています。フリーランスという立場にあっては尚のこと、状況を見誤り判断を誤ると単なる独りよがりになるか要らぬ反発や混乱の元にもなると感じるようになりました。その判断が組織に馴染むのか、というのは言い換えると、その判断を実行できる組織の雰囲気やスタッフの潜在的スキルがあるだろうかということでもあると感じるためです。対極的にみれば、力技でねじ伏せることや、多少の反発は承知でグイッと方向転換することも考えられますが、それは組織の不安定さや不満を増長すること、そして所属する喜びも幸福度を下げることになります。また、そのように推進して2か月後はよくても6か月後はどうか。それを企業文化として根付かせることまで自分にできるのか。

    社員の方々もいる中で経営者の近くで仕事をするというのは、どういうことか;このことをよく考えるようになりました。結果的にそういう状況に身を置くことが多いことを踏まえ、正論で経営者に向かうことはだいぶ減少し、組織に属する人の様子や様々な状況を鑑み 自身として場面場面で臨機応変に感じ考え、スタンスを明確にしてメッセージを発するよう心がけるようになりました。
    その際、子育てからヒントを得ているなと強く感じられる場面が幾度となくあります。想定外や理解できない行動をとる相手への無条件の愛情が、「こんな感情もあるのか」「こんなこともあるのか」「求めすぎていないか」「変化は起き始めているのではないか」といった今までとは異なる思考へといざなってくれているように感じるのです。

    もちろん実際には、私自身が判断し、トップに直接提案することもあります。その際には、
    1)チームが中途半端な方向を向いてしまうのではないか
    2)民主的と見えるそのステップは、本当に組織に有益か
    という視点から考えるようにしています。
    民主的に出た結果が常にリーダーの意思決定より優れているわけではないことや、メンバーに納得してもらいたいと思うあまり民主的になろうとして議論が増えるため チーム内でのコミュニケーションコストが膨大になるという。これは、仕事のスピードを落とすことに繋がり、業務量や時間的拘束を増やします。

    組織に属して自分自身も100%で向き合い、成長や活躍を見守ってもらい 期待・応援してもらっている正社員として働いている状況とは根底から違う。だからこその視点がある。1つの組織に多様な背景・雇用形態・専門性をもつ人が集うということの意味合いを痛感しています。いつしかそう思うようになりました。

  • 仕事が広がる

    仕事が広がる

    先週 MTGをおこなった新卒の男性に、「周囲の先輩を“○○さんも○○さんも、周りの人たちがみんなすごいんです、尊敬しています”と素直に表現できることは素晴らしいことだと思う。でも、今あなたに求められているのは 尊敬だけではなく、どうやったら自分もそれをできるようになるのかスキルを盗んでいくことですよ」という話をしていた。 さきほど会話をした20代半ばの女性に、「今の時点で、自分で自分自身について “性格的にこれは苦手だな”トカ“これよりもこっちが向いていると思う”と判断するのは少し早いかもしれない。若くて体力がある今の頃は、自分の領域を少しずつでもまずは広げていくように考えるといいと思う。今は、やってみる/体得していく時期という風に考えて。沢山の引き出しや経験を積んで、30、40、50代となっていくにつれて 自分の仕事の領域や適性、心地よいと感じる仕事との距離感なんかが 見えてくるんじゃないかな」と伝えている自分がいた。

    振り返ると、最近特に、人に関わる部分の仕事が少しずつ増えているように感じています。いわゆる、会話のようなMTGが増えてきたように思うことと、「月額契約(プロジェクト毎ではなく継続型)の案件に関しては「ちょっといいですか」や「話せますか」「○○さんと話してみてもらえませんか」と言われるようになってきた。具体的な業務云々ではなく、仕事をしていく上での感情の変化や 仕事との向き合い方、モチベーションの保ち方、また、ヒアリングをしていく中で明るみになる組織の中での滞りやストレスを解消したいという欲求を適切に導いていくこと。かつて組織図の原案作り自体を担当し、その導入に関しても中心となって関わらせてもらった経験が ここに繋がると気付かされます。
    チーム編成の重要性は以前にコラムにもまとめた通りですが、いわゆる組織論、仕事への姿勢、キャリア形成などということに関して、思い起こせば実は私自身も関心が高かった。特にやはり、女性のキャリアの築き方、キャリアの棚卸、家族観や人生観の変化、ブランクを経て仕事を再開する際の考え方・組み立て方。そのあたりに、やはり興味・関心があることを最近意識します。そしてそれがここにきて、1つの仕事領域にもなりつつあると感じています。

    5年の専業主婦期間を経てフリーランスとして仕事を再開してこの2月で、1年8か月となりました。こと仕事においては、時たま振り返ることが癖づいています。振り返る内容というのは主に
    1)いま自分がどこにいるのか(何に適性があるのか)を捉え直し、
    2)足りていないスキルを洗い出し、
    3)今後どういう可能性が少し前の未来に見出せるのか
    というあたりである。こういう類のことを考えるのは、いつ頃からか楽しい作業にもなっている。こういう風に 時たま振り返り 客観視してみることで、それこそ上述したような自分の新しい仕事領域も見えてきました。

    この「対ひと」においては、思い起こせば 《ダイアローグMTG》と呼んでいるものを業務として請け負うようになっています。これまでに、3つの会社を経営する社長職の方と、あとは小規模の製造業を営む社長職の方に対し フィーをお支払いいただいて実施を。2週間ごとに 75分のセッションを3回行うことを基本とし、MTG後に私が資料として その対話を振り返り、分類し、要点や質問を加え、また次回それをもとに対話を掘り下げるというものです。きっかけは、「何をしている人なのか 分かりづらいとよく言われるので、それを整理したい。自分でも 3つの会社の説明が拙いと思っているので、それらを整理してもらえないか」と言われ、3回にわけて対話し、最終的に紙面でご提案を。その話を別の会社の社長にしたところ、自分にもやってほしいと言われ実現しました。本HP上でもサービスとして謳っておらず、また、そういった内容の話にならない限り 私自身も言葉にしないため 今これ以上の広がりはないものの、私自身の仕事の幅として ここは少しじっくりと広げていきたいとひそかに思うようになっている。

    振り返ると、新卒から合計4社で仕事をする中で、常に新しい業務領域へのチャレンジがありました。営業という職種を1つとってみても、対既存のリレーション構築のような関り、新規への飛び込み営業、当たり先の洗い出しから行うリサーチ、キーマンが誰かを判断する推測作業、イベントや企画を軸とした活動、広報的なリレーション作り、戦略的に構想を練ることまで幅広く。店長業務といっても、店舗立ち上がりの際の契約書の読み込みや工事の立ち会いまでを経験させてもらい、備品購入、防火防災責任者の講習を受け、危機管理マニュアルを作ることから、スタッフの面接・研修、店舗のルール作り、売上管理の仕組み作り、副店長を育て店長のバトンをパスするまで。制作物に至っては、どういった形態のものを作るべきか/何も作らないべきかというゼロいちの議論から 1つ1つの文章の日英作成。印刷物でもHPでも、構成作りから担うことが多かった。対海外という仕事においては、1枚のA4英文レターを作るだけで1週間かかっていた新卒時代を経て、今では営業から広報、リレーション作りまでを包括的に担えるよう経験を積ませてもらいました。

    新しいことへのチャレンジ。
    気力も必要だが、40手前になっても仕事が広がる。広がっている。そして、種が見つかる。そう、まだまだ広げられる。嬉しく、大切な感覚です。

  • いま不安視すること

    いま不安視すること

    新型コロナウィルス感染者やその数の動向により、各国で 外出自粛や行動規制、日本においても東京の感染者数が毎日報道され県独自の緊急事態宣言が出される状況も続いています。そのうちインフルエンザのように季節性風邪の一種になるのか、それともこの国をあげての介入が続く状況が数年続くことになるのか。自粛生活、先行きの見えなさ、資金繰りや経済的な生活苦に疲弊し、自暴自棄やメンタルヘルスのバランスを崩すという流れは 容易に理解できます。
    その中で、私が強く危惧すること。若い人たちの中での、目標のために努力することやチャレンジすることが難しい環境や社会風潮が前提となってしまわないか。とても簡単にそういった思考回路になってしまうことに強い危機感を抱いています。
    COVID-19、当初は私も身体的な症状を危険視し不安に思っていました。そこから数か月経ち、私の怖さは「自粛警察」といった単語に評される社会の目へと緩やかに移行し、社会的動物としてこのCOVID-19へ恐れを抱いていました。そして今、COVID-19が私たちの精神を蝕んでいくことへの危機感が最も気になるに至っています

    個人の努力ではどうにもできないということがもたらす 悲壮感や諦めの感覚が、私個人、パートナー、子供たち、家族親族、友人知人や仕事関係の方々を見えない霧が覆い始めないか。このコロナの最大の怖さは、そこではないかと感じるようになりました。
    不可逆的な理由で大会や発表する場を見送らねばならなかった経験や、先の見通しが立てにくい現状がどれほどやる気を削ぐのか。しょうがないや致し方ないと言わざるを得ない状況が続くことが、粘り強く在り続けることをさらに困難にするのではないか。学業、部活動、仕事、社会活動や趣味、そして人間関係に至るまで 前提が変わりそうで 危機感を募らせています。

    5日前に発表された記事。9月の全国の自殺者は速報値で1805人に上り、昨年の同じ月と比べて8・6%(143人)増えたことが、12日、厚生労働省と警察庁の集計で分かったと。女性は27・5%増えており、さらに8月をみると、20歳未満の女性(40人)が前年同月(11人)と比べて4倍近くに増えていることも判明したそうです。読売新聞のWEB記事によると、「厚労省は「新型コロナウイルス感染拡大の影響で女性や若者を中心に生活リズムが変化した。不安を独りで抱えこまず、メールやSNS、電話などで相談してほしい」と呼びかけている。自殺者の総数は近年、減少傾向だったが、今年7月は対前年比で増加に転じた。女性は7~9月の3か月連続で600人を超え、7月は15・6%増、8月も40・3%増となっている。」という。データをどう見るかという精査はしていませんが、見えない霧がすぐそこに漂っているような気がしてなりません。つい昨日会話した登山家の方が、「自粛期間中に電車に乗らなくなり、そうするともう行動パターンとして電車に乗って人と飲みに行こうという気がもう起きなくなった」と言っていた。1年の多くを海外で過ごし、私の想像を遥かに超える厳しい場所に60を超えても身を置くバイタリティ溢れる方(エベレスト登山経験も豊富な方)の発言に心底驚きました。

    特効薬やワクチンがないというこの状況下では 自分だけでなく周囲の大切な人のためにも ソーシャルディスタンスを保ち マスク着用、不要不急な外出を控えること等は 妥当・有効な行動であると私自身も理解しています。そして、大人はうまく対処できる術も方法も、思春期や幼児期の子どもと比べたら遥かに多くあるはずです。子供が育っていく環境として、彼ら彼女らはどう認識しどういった影響を及ぼしていくのだろうか。仕事においても 大きな投資をしづらくなり、先のイベントや催事を企画立案しづらくなる。我が子に、努力する大切さを説きづらくなる。チャレンジさせていいものかという、変な思考回路にならざるを得なくなる。また、メールやSNSの弊害として挙げられていた リアルコミュニケーション不足。今後はソーシャルディスタンスの影響、さらに事態を不安視させられます。自分も息子たちにどう伝えられるのか、また、自分自身もコロナを理由に思考を停止しがちになっていないか。これは自問自答を繰り返し続けるべき問いであると考えています。

    ※自分としても、非常に悩ましく不安視しているトピックであり、備忘録のためにも記しておきたいと感じたため。

  • 世界的パンデミックの渦中にて

    世界的パンデミックの渦中にて

    新型コロナウィルス(COVID-19)が世界的パンデミックをもたらし未だその渦中にある今、備忘録としてここに残しておきたいと感じます。
    日本政府は4月16日夜、新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言の対象を、これまでの7都府県から全国に広げた。全国の小中学校が休校となり、会社もテレワークを推進。飲食店や商業・観光施設は自粛、類を見ぬ価値観の大転換地点にいるとも言われています。
    5月14日、群馬県には緊急事態宣言が解除され、群馬県による緊急事態措置は終了。東京や神奈川は依然として渦中にあります。
    世界中の多くの国と同様に、新型コロナウィルスの第2波や第3波がきたら また自粛や制限へと逆戻り。先行きの不透明さが色濃く残る経済活動や移動の再開は 非常に不安定な中でかろうじてという状況であり、公私ともに予定が立てにくいと痛感しています。
    個人的には、ワクチン開発ももちろんですが、私くらいでも気軽に抗体検査へ手を伸ばせるようになることを願ってやみません。不要な疑心暗鬼や猜疑心は早く払拭したいしされるべき。見えないが故の混乱や、蓄積される形容しがたい心のモヤモヤ;これこそが一番の問題であり、非常に厄介であると感じます。

    私の周辺での出来事や気になった言葉、そこから日々考えていることを記します。今回のパンデミックが、長い余波を引き起こし、この先半年後や1年後にも悩まされることになるとすれば、自分でも時にここへ立ち返り、自分の言葉を確認すべきと感じるからです。

    ○グローバル化の考え方に急ブレーキがかかり、脱グローバル化の流れが急激に盛り上がっていくと考えられている。国際政治学者イアン・ブレマー氏も、今回 国ごとに時間差でロックダウンや自粛下に入ったことで、物流や移動の自由が強制的に且つ中長期的に遮断や制限される事態となった。私の周囲でさえ「トイレが届かず家が完成しない」、「イギリスにサンプルを送りたいが、イギリスの物流機能が正常化すると どうやら今度は反対に日本が不安定らしく EMSでさえ日本を出るまでに2週間かかる」とリアルな声が聞こえます。部品が届かないために製造ラインが長期化するリスクや、今後輸出入コストが上がるのではないかという懸念、またオンラインMTGがメインになるとはいえ重要会議、現地視察や調査等はなくならないはず。飛行機移動はどうなっていくのか。敷居が高くなるだろうか。ビジネスにスピード感が保てるのか。世界はどんどん小さくなっていると言われていたものが、突如真逆の論説が浮上しています。未来予測や舵取りは本当に難しい。
    ○パンデミックのきっかけは、私たちの大量消費社会と言えるという話に共感しています。人間が自然を破壊し、より多くの資源を求めるようになり、地球上での自分たちの生活圏を拡げ、これまで出会わなかった動物やウィルスに接するようになったと。私達自身が招いたことと言われています。
    そのニュースは、そう頻繁に目にするには至っておらずSNSやネットの世界で言われる程度。ただ事実として、私達は立ち止まっている。グローバル化と散々叫ばれていたものの、それらに突然ちょっと待ったが入りました。そして今までの、より速く、より大きく、より多くが根底から揺るがされています。
    ○だいぶ強制的なSTAY HOMEのおかげで、おうち時間が急増。お米の消費がとにかく早く、野菜も何もかもがみるみる減る。イギリスでは一時期パン焼き機の売れ行きが同月前年比400%増になったとか、男性の煮込み料理熱が増し ネットで話題になったと聞く。我が家では、庭で過ごす時間がかなり増加し、夫婦で庭木の手入れにハマっています。子供たちを外で自由にさせておいた方がよいだろうという共通見解のもと、いつしか親の方が外へ出ていくことが増えました。
    ○日本においては、欧米のように外出制限への強制力がもてないと言われたものの、周囲の目と同調圧力や和の精神がよく作用したと言えるはずです。ペリー来航から開国を迫られたように、島国的な国民性をもつ私たちはグローバリズムの中で懸命に新しい価値観を受け入れようとしてきて今もまだその最中でしたが、コロナ渦中にはもともとの日本人らしさが結果的によく作用したのかなと個人的には考えています。
    ○田舎暮らしに、またしても多くの利点を感じました。近所で自由に遊べる、公園には行かずとも子供は遊ばせようと思えば自由に遊ばせられます。田舎の家は得てして都市部の集合住宅や戸建てよりも面積が広い。パーソナルスペースがとりやすく、長引く制約の多い生活の中で精神衛生上 非常に重要と感じます。大人も、STAY HOMEの中で、自然に癒される。公共交通機関で移動する都市型の働き方よりも、地方の中小企業への車移動の方が今回に限ってはメリットが大きい。もともと公共交通機関推進派でしたが、スマートカー技術はどんどん進化してほしいです。ここほどにド田舎でなくても、人口密度が一定の数値以下である地域・エリアの方が 家族全員がハッピーかもしれないと やはりそんな風に感じます。
    ○家族全員、色々とオンラインに挑戦しています。5歳の息子が、世界に暮らす日本人の小学生向けのオンライン授業を受け始めました。彼が面白いと言うので 元素について、5回の有料オンライン授業を受講しています。夫婦ともに、ZoomでのMTGや飲み会にだいぶ慣れてきました。
    ○これまで、家族や親しい友人と動画で連絡を取り合うことはあっても 仕事においてはそうリアルに導入を考えたことはありませんでした。それはなぜなのか。自分の中で、山奥での生活が 新規案件のご相談をいただくタイミングにおいては 不利になるだろうと考えていたからです。だから、自分からは提案したことがありませんでした。1か月が経ち、これはwithコロナ期とそれ以降に大いに生かせると実感しています。田舎で暮らす私たちこそ、率先して導入すべきです。
    現に、私には新しい依頼が舞い込んでいます。誠意をみせるために まずはとりあえず会いに行っていたのが、Zoomで「はじめまして」。コロナ渦中では、これは失礼には当たらない。新しい価値観、早くも実感しています。
    ○敬愛する社会の先輩から「いろんなことが再編成されるだろうから、無意識に消滅するより、意識してどこに立つか決めた方が良い生き方かもよ」というご助言を賜りました。どこに立つかを決める。深夜00時を過ぎたメッセンジャーのやりとりでポーンと放たれた言葉に、心を見事に射抜かれました。
    ○人が大勢集まる場所に、人は本当に戻るのか。これは私も今後の動向を見たいトピックです。特に、知らない人同士が集まる場。オンラインで代替がきくものは当然前進できるが、コンセプトの軸に「大勢の人が集まること」を据えていては正直難しい。そして、抗体検査もワクチンいつ開発されるか分からないことを思うと、楽観視もしていられません。
    ○国籍、社会的地位、価値観などを越え、それ以前に私たちは人間であるという前提が今後、より意識されることになるのではないか。そしてウィルスは人を選ばない。老いも若きも、裕福でもそうでなくても、同じように襲います。どこに潜んでいるかが分からないため、私たちは強気でいられなくなりました。
    ○友達と遊べない、人と会えないことがもたらす影響や病気は 思った以上に深刻であると感じています。人が人たる所以を、ほんの少しだけ理解したような気持ちです。
    ○この状況を、時代の転換点であると認識するかどうか。認識する人としない人とで、差が開いていくのかもしれない。どんな差か。
    当事者意識をもってこの一連のatコロナに目を向けると 生き方、家族との生き方や個人としての在り方、ビジネスの戦略も変わるはずです。価値観の転換というのは、それが自発的であれば当然言動に表出するものの、それが 外発的であれば話は大きく異なると考えます。今回のパンデミックで半強制的に導入せざるを得なかった価値観は もとの日常に戻ればあたかも存在していなかったようなものにもなる。あれはなんだったのかと、消えてしまう。新しい生活様式もテレワーク/リモートワークの推進や、生き方への気付きも、すべてそうです。
    ある意味で、withコロナという長引くであろう余波のおかげで、私たちは気付き→検討し→具体的な行動にすだけの時間が取れる可能性が高い。まだまだ医療従事者の方々等のことを思うと「ウイルスのおかげで」と言うには憚られる状況ですが、私でさえ感じます。

    この50年、グローバル化を前提として経済は前進してきた。脱グローバル化の動きが進むのか。いや、話はそう簡単ではないはずです。資源調達や流通をグローバルで考えることは大きなリスクとなることが、今回よくわかりました。人の移動がこれほど著しいからこその病気の拡がり方も今回の特徴です。
    新型コロナウィルスは、何をもたらしているのか。しばらくはこの問いに向き合わなければいけません。まだまだ思考を深めなければいけません。

  • チーム編成の重要性

    チーム編成の重要性

    昨年秋から年の瀬にかけ、英文HPをゼロから作成するプロジェクトのディレクションを担いました。ゼロという意味が、まさに言葉通りにゼロで、ドメインの検討や海外向けメールアドレスの検討から取得決定とともに、社内にほぼ英語の資料がなく、英語どころか日本語を1から構築するというユニークな案件です。私が見聞きする通常のパターンは、まずは日本語ホームページを作成し、もしくは既存の日本語HPをもとに英語版ホームページ制作を作るという。 会社沿革に至っては、社長にヒアリングをして初代まで遡り、社内でも過去の資料を探してもらいつつ日本語で原稿化したという状況でした。 往々にして国内市場へのメッセージとは若干変えた方がより望ましいため そっくりそのまま英語へ翻訳することはないのですが、それでも日本語版をもとに多言語化を進めるケースが一般的です。今回、確かに日本語HPはあったものの、社長とともに「現在の会社の状況を表しているとは言い難い」ことを確認し、日本語HPは参照せず英語版からのスタートでした。

    今回のこのタイミングでの新規HP制作ディレクションは、私にとって大きなチャレンジでもありました。5年ぶりの本格的な全体ディレクションであり、世の中のトレンドや技術がどうなっているのか、そのキャッチアップを含めて自分が担いきれるのかという不安も当然見え隠れ。クライアント先の社長に対してもこのHPを大きな弾みとして 国内市場以外に可能性を見出してほしいという気持ちが非常に大きかったことも、緊張感とともにプレッシャーとなりました。さらに、案件として引き受ける際にまず確認する予算と納期ですが、 納期は、構想から3か月強、チームが固まってからは2か月だったか。 ここもまたタフな要件であったことは記しておくこととします。
    納期もしくは予算にゆとりがあれば複数の進め方やチームが検討できるものの、今回は時間ばかりが過ぎていくピンチに見舞われそうになりました。なかなか決定できそうになかった肝心の制作を引き受けてくれるプロについては、最終的に友人のつてをたどることに。結果的に、様々なプロのスキルと目線の高さに触れ、支えられ、クライアントの想像を超えるものに仕上がったようで安心しました。一連の制作期間を通じて考えたチーム編成について私見をまとめておくこととします。

    ディレクション案件を引き受ける際に、普段私が考えていることは以下のようなことです;
    ・クライアントは何を望んでいるか。
    ・何を満たすべきで、どこまで膨らませるべきか。
    ・その案件は、何を要に据えるべきか。
    ・すでに存在している素材は何か、そこに手を加える必要性がありそうか。
    ・一度で達成できそうか、若しくは複数段階に分けて考えるべきか。
    上記は非常に抽象的な視点ですがこの時に、常に「どんなチームを組むべきか」を並行して念頭に置いて 様々なケースを検討します。

    私見ですが、プロジェクトの成功には関わる人の相性が非常に重要であると感じています。関わる人の志向性や雰囲気を、実はとても気にしてチームを検討します。それは直接的なクライアントとの相性とも言えますし、実際一堂に会するかどうかは別として横に繋がるメンバーが1つのチームになれるかどうかも想像します。知人や友人である場合には、 馴れ合わないよう程よい距離感を意識し合える間柄であることはもちろん、逆に遠慮が出過ぎないか、お互いに心地よいと感じられるか。これらはすべて、プロジェクトに関わる個々人が意欲的に、ポジティブなマインドでスキルを提供してくれることがなんであれ完成品の質を引き上げることに直結すると過去の案件を通じて感じてきたためです。各々が日々様々な案件に同時並行で携わる中、思いをもってスキルを惜しみなく提供してくれたりリソースを割いてくれたり粘り強く対応してくれるか否かは、最終的には気持ちの部分で優先してくれるかどうかであると感じるに至りました。先日も別の案件で、「1割ほどめり込んでいるかもしれませんが、まだ予算内ですよ」と言われたことがあり、パソコンの前で小さく頷きました。

    複数の立場の人に関わってもらう場合には、それぞれの役割分担を明確にし、下位分担まで心がけ、クライアントには折々で説明と確認をします。 今回は撮影、翻訳(やりとりは2名だがバックにもう1名)、制作(やりとりは1名だがバックにもう2名)という3者。関係者が複数で且つはじめましての場合に発生しがちな、「自分がどこまで担うべきかと、モノを申していいのかという遠慮」に対するプロジェクトマネージメントの役割も強く意識しました。それぞれの担当者に対し、私自身の役割を伝え、通常どんな風に線引きをされているのかや今回どこまでを担ってほしいのか、どんな観点からのアドバイスが欲しいのか等も伝えます。
    最終的に、どこの誰からの提案を優先するかはその時々で変わるため上記の進め方を心がけても曖昧さが残ります。しかしながら一方で、最初に決めた線引きにこだわりすぎると全体の質が下がります。今回も、要所要所で非常に的確な指摘、疑問出しや再検討をしてほしいというリクエストがありました。最終的に「ここはクライアントの第一印象で進めよう」と決定したこともあり、コーディネートに近い選択をした箇所も幾つかありました。ディレクターがどこまで強く意思決定を通すべきかも、1つの案件の中でも柔軟に対処すべきと私自身も感じられた案件でした。
    あわせて、プロジェクトのスタート時点では想定しきれていなかった小さな検討事項や付与されるべき機能が、制作も半ばに差し掛かった頃に顕在化。あるあるではあるものの、予算と直結するためディレクションを担う立場としては小さな悔しさが残ります。今回でいうと、例えばCookie Policy。当初は一切念頭になかったものの、ふと気付けば海外サイトでは頻繁に表示されました。追加制作が納期にはまるか、そして当然予算を確認し、クライアントにはこちらの最終的な意見を含めて伝え、判断を促す。今回は特に、私自身に5年というブランクがあったこともあり、できるだけ客観的な意見にするためにHP制作会社や海外在住の知人に相談を。ふとした時に相談できる相手がいるというのは、個人で行う上で非常に重要であるとこの時にも痛感しました。

    以前師事していたデザインディレクターが「キャスティングでうまくできた時点で自分の仕事の半分以上は終わったようなもの」と言っていた言葉を思い出します。今回は、ディレクションに加えて英文HPの構成を1から検討し提案としてとりまとめ、 元となる日本語の原稿をすべて担い、最終的に冒頭に表示させる英文メインメッセージを作成するところまでの実務を担当したためにそうも言いきれませんでしたが、それでもこの関わるメンバーのおかげで非常にスムーズ且つ気持ちよく着地した仕事になりました。ここをスタート地点として、この英文HPを通じて売上に繋げていく仕組みと動きは、これからです。

    クライアント:土田酒造株式会社
    https://tsuchidasake.jp/

    ※私的な考えを綴ったエッセイです。無断での転載・複製はご遠慮いただいております。

  • 山奥での子育て

    山奥での子育て

    夏が終わり、秋になりました。連日、週末に猛威を振るった台風19号の残した爪痕について報道されていますが、みるみる膨れ上がる犠牲者に 恐ろしささえ覚えます。関東は深夜に風雨が強まり、私も深夜1時半頃まで眠れませんでした。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに ご家族の傷が少しでも穏やかに癒えますように。また、被災された方々の中にはまさに生活が一変してしまった方も私の想像以上に多くおられたのだと思います。こういう行動を不謹慎だとという思いと、拙いことは承知で思いを馳せると、様々な考えがこみ上げてきます。
    ここ片品村には目立った被害がありませんでした。夫曰く、山々が守ってくれたという。海沿いと異なり、すぐそこの山々が壁となり 特に強風から守ってくれたということです。普段はないものねだりで海が見たい見たい/海の幸が羨ましいと思っているものの、この時ばかりは。とはいえ、片品村でも、私が知るだけでも それぞれの季節で様々な形で自然の厳しさを痛感する場面がありました。大雨による土砂災害、道路の寸断、地滑り、冬の雪崩など。それ故に国道が数か月もの間 片側通行となり、工事が続いていました。
    私自身は典型的な東京育ちで、振り返ればこんな時も右往左往するばかり。お風呂に水を張り、懐中電灯や電池を確認し、食事を事前に準備する程度でした。何を片付け、どうすべきか、まだまだ判断基準が曖昧で闇雲に不安がるタイプです。

    突如頻繁に遭遇することになった 自然の脅威、一説によると非常に強い台風は温暖化の影響で珍しいことではなくなるという。息子たちが大人になる頃には、一体どういった気候になっているのでしょう。
    必要以上に怯えるのではなく、実体験を基に、その先の脅威を推察できるようになってくれたら。風が強い日に体をもっていかれそうになる感覚や、時間帯によって同じような風でも冷たいか痛いか両方か。暖をとりたくとも屋外で火を使うべきではない状況が判断できるか。電気がなくても あたりが暗くなっても落ち着いて行動できるか。知恵と工夫とで周囲のもので必要とする何かの代替ができるか、そしてすべての基盤となる 打たれ強く安定した精神力を持ち合わせられるか。
    3歳5歳の息子たちは、毎日 10時から15時まで、外で遊ぶようちえんに通っています。またそうでなくても、外で遊ぶことが多い毎日です。ようちえん帰りも、外遊びの延長を。休みの日も川辺や木々の合間、ひらけた芝生の上で。外で過ごすと、多彩な刺激に触れる機会がより多く、予期せぬ不快感や失敗に対してもその都度本人なりに対処することでストレス耐性もつきやすそうだなと感じています。体の各部位をうまく操り動けるようになることで、すぐに泣くことも減り、周囲の様子に気付けるようになるという。
    触感覚は、皮膚の感覚の受容器であり、温度や痛みなどを感じ また様々なものに触れた際の刺激や感情(触感)を脳に伝えます。一般的には情緒が安定する、危険から身を守ることに繋がる、識別することができるようになるそうです。それらとあわせて、姿勢を保ったり体の傾きを感じてバランスをとったり、力の加減を知り、そして自身の運動コントロール等が徐々にきくようになっていきます。記憶として想起できるものの引き出しを増やすことだけでなく、より多くのことを体で感じているということが重要です。体験は自分のもの、自分だけのもの。誰にも取って代わられることはないし、奪えません。
    息子たちは、どんな毎日を過ごしているのだろうかと時に考える。汗がじっとりと背中をつたうこともあれば、予報と異なり突然の雷雨でびしょ濡れになることも。北風の強い日に 手がかじかんでお弁当のお箸が持ちにくかったこともあれば、虫に刺され 痛痒さに半べそをかき癇癪を起こしたこともありました。無数のトゲが刺さった、ツメが割れた、目の周囲をぶつけ腫れあがった。生傷は絶えません。ようちえんでは毎日着替えにお弁当と水筒を自分で背負い、その日の遊び場の拠点(基地)まで歩くというのは3歳5歳にはなかなかのトレーニングです。快適とは無縁の、彼らの毎日の生活で育まれるものを、私は信じています。

    自然相手の生活は、自然の大きさと人間の小ささを感じさせてくれる。それは、自然の脅威に接した際に、無謀な抗いをすることなく現実的な対応へと心を自ずと向かわせてくれるものだと思います。その点では、我が家で私が一番甘いということも分かっています。

    10月も半ばとなれば 秋も深まり、我が家以上に標高の高い尾瀬では紅葉真っ盛り。片品村では昼間も20度を下回る日が徐々に増えており、夜間の気温も急激に下がり始めています。例年通りであれば、来月には早くも降雪。冬を意識し始めます。冬は、長く、そして当然寒い。雪は、降ってすぐは美しい粉雪とはいえ陽が当たれば当然重い。
    自然と寄り添う生活は、単一の反応ではなく多様な刺激が身近である。同じ日がなく、自然の美しさと少しの厳しさを知らぬ間に植え付けてくれる。1日1日の小さな厳しさで、少しずつ育まれるであろタフさや逞しさ。願うに、脅威はそのだいぶ先にあるものとして、まずは自然を身近なものとして捉え 親しみを持ち、そして大切にし、知らぬ間に培っていてほしい。自然と寄り添う生活で体得されるタフさが、彼らを生涯支えると信じたい。

    自然体験の意味が見直されるようになって久しい。もちろん集中力や、物事へ取り組む姿勢、洞察力、課題発見能力なども培われるやもしれないが、それだけではない。自然環境が大きく変化する中、生き抜くために必要な実体験の積み重ねというそのこと自体が大きな意味をもつ時代に入っているのではないだろうかと深く思います。

  • 素人とプロの狭間で

    素人とプロの狭間で

    IT技術やソフト、アプリのおかげで、素人がいわゆるデザインという領域において、それなりのことをできる環境が整ってきた。例えば、写真。加工の仕方で、素人であってもそれっぽい画像をインターネット上に掲載できるようになった。HP制作においても、無料テンプレートという選択肢が台頭。独自ドメインや広告の非表示という一定ラインを据えたとしても、そうであっても数万円でこういったHPを立ち上げることができる時代に入りました。
    そして私にとっての最たる驚きは、印刷物の入稿方法の変化です。以前は、印刷所に依頼する入稿データはイラストレータで作るしかなく そのことが このグラフィックデザインの領域を近づきがたいものとしていた。わざわざグラフィックデザイナーに依頼するほどではないものも、印刷所に相談する場合は入稿データがイラストレータ形式であることを確認される。それが、最近はワードやパワーポイントでデータを作り、そのまま入稿もしくはPDF化して入稿できますと謳うオンデマンド印刷サービスが台頭している。イラストレータ形式でなくても、アウトライン化されている云々ではなくても、入稿できる。試しに名刺の印刷を依頼してみたところ、紙はヴァンヌーボを選べ、その仕上がりは私には十分なものでした。
    印刷会社にしてみれば、当然の戦略ともいえます。これまでは主にデザイナーや広告代理店が主なクライアントであっただろうが、その先の個人/法人を直接の顧客にするための一手という営業戦略。誰もが気軽に印刷依頼をできるようにと門戸が開かれたのです。私のようなサービスの受け手からすれば、印刷会社からの歩み寄りは非常に有り難い。データをPDFにして保存する方法や、ワードやパワーポイントでのテンプレート無料DLサービス、そのテンプレートを開いた際にトンボマークの表示方法など、踏むべき手順や確認点が非常に分かりやすく示されていたことも印象的でした。きちんとサービスとして確立されていると感じられます。
    一度そういったオンライン印刷サービスを利用すると、無料メールマガジンの購読対象となり、どんなものかと読み進めると夏に検討すべきノベルティ、効果的な紙面の作り方、季節のお便りを作るべきか否か、ひびくキャッチコピーの考え方、ブログを書く際の留意点など。その都度届くメールは、時にサンプルコストまでも網羅し、それらに沿って進めればそれなりのものができそうという期待感で胸が膨らみます。

    ゴール設定の仕方ややりようによっては自分と周囲の友人知人で色々なことが十分なクオリティで出来上がることが可能になることがよく分かり、それでもデザインや撮影のプロに依頼すべきというのはどういう時と捉えるか。現時点では、私は以下として受け止めています。
    1)目標とする売上規模から逆算して考えた際の妥当性
    先行投資になりますが、必要な投資であると言えるためです。
    2)会社やブランドイメージを引き上げたいタイミング
    お金を投じる際にそれが消費ではなく投資であるなら、その成果物が、費用対効果という指標で最大限に引き上げられていなければなりません。それは、個々人の感じ方や好き嫌いを超えた客観的な一定ラインです。印刷物であれば紙質やサイズ、写真の質(精度、構図、明るさ含め)、見出しの的確さ、情報量、半スぺ等の細部。HPであっても写真のインパクト、動線、テキスト情報等の配置など。お金をかけて制作物を刷新するのは、ブランドイメージの引き上げや確立は必須です。
    時たま耳にするのが、「タイミングよく出会ったため依頼した」「あちらからやらせてもらいたいとラブコールがあって」「友人や知人がサービスを提供しているから依頼した」という話。よい人との出会いであればそれに越したことはないのですが、デザインや見せ方には正解がない分、その内容も千差万別であるとも感じます。フラットな目での判断が理想です。
    3)国内外展示会へ挑戦するとき
    これは言うまでもありませんが、特に海外へ向けた挑戦はHPが必須と感じます。SNSのみで成功するケースもありますが、そちらの方が少数派かなという印象です。
    4)少なからず予算があるとき
    誰に依頼するかにもよるとはいえ、やはり総じていいものが仕上がると思います。特にホームページは、無料で作れるものまでありますが、それ相応のデメリットがある印象です。
    5)メディア露出が増え始めたとき
    雑誌やテレビの取材、そしてWEB記事であっても、年に2度でも取材を受けることがあれば、それは兆しかもしれません。メディアが取り上げた際に、いい写真素材があるか、伝わるHPが受け皿としてあるかということは その後の売上を左右し、拡がり方が変わってきます。SNSもいいですが、ホームページの役割は確かに存在します。また、うまく合致した際のメディアからの波及効果は言葉で説明できるものではありません。
    6)HPのリニューアル案件
    データの引っ越しやSEO対策を考えると専門家に依頼する方が、相対的にスムーズ且つ漏れがない。ネットで調べながら自分で対応してみようと試みるも、データが消えてしまった際のリスクをどうするか、そもそも素人が場当たり的に調べながら進めるには効率も悪い。そして暫くやり進めるも、本人が迷子になったところで依頼される方も大変です。リニューアル案件はプロに依頼することが得策と結論づけています。
    7)自分の知らない引き出しからの提案を取り入れる余地がある場合
    撮影でいうと構図はもちろん、光の捉え方や小道具、編集方法など その道のプロだからこその経験値があります。とはいえ、そのプロの過去の作品から自社商品に合うかどうかの判断は必須です。制作物でいうと、翻訳依頼をかけた元原稿を、如何に多くの対象に使い回せるか。語尾や言い回しを少し変更して、最大限に活用できるか。翻訳依頼にはコツがあり、かけたコストに対して差が出ます。何が何でもコスト削減ではなく、提案を柔軟に受け入れられるのであれば断然プロへの依頼をお勧めします。


    目的の上位に低コストがくるのであれば、社内外でやりくりすることが最善の策です。
    過去に、HP構築やチラシ作成などにおいて、理想的なベストではないが現実的に考えるとベストという事例を幾つも見てきました。今回は社内で作る、それでいいんです。また、デザインを取り入れたいと思う気持ちが強いほど、そのチャンスに巡り合うとふと飛びつきたくなります。そのデザインが自社商品にマッチするのか、一考すべきと思います。
    少なくとも、決定権を有する人が、その表現が適している/適していないと判断でき、より適した表現とはどういうものだろうと思いを馳せる視点を養っていけるとよさそうです。それを突き詰める必要はありませんが、デザイン理念に関する書籍を数冊は目を通す、信頼できる人を間近に配する若しくは定期的に意見交換をするなど、程よく意識できたら理想的です。


    ※画像は、富山県砺波市の海岸沿いの公園。海のある風景が新鮮で心地よかったです。
    ※私的な考えを綴ったコラムです。無断での転載・複製はご遠慮いただいております。

  • 売上を伸ばすためにできること

    売上を伸ばすためにできること

    今思えば、3社目の上司は、マーケティング思考にとても長けていた。3社目で30近く。当時私は彼女のアシスタントとして各種案件に携わっていたものの、今思えば戦力になったというより育ててもらった記憶しかありません。

    この上司は、クライアントのニーズを紐解き、担当者の立場や意図を細やかに汲み、クライアントの満足がどこにあるかを常に軸に置いて動ける人でした。また、迅速に社内調整を図り、関係者とチームを作り、多少無理なスケジュールであっても協力させることができる強さと説得力もありました。とはいえクライアントに肩入れしすぎない、絶妙な塩梅で相手の満足度を超え、自社の利益を考えるという。コンサルマインドを背中で私に示してくれた人です。厳しくも愛に溢れ、お酒も好きで人も好き、率直でロジカル。肝のすわり方と人生経験の豊富さでは足元にも及ばない、人間らしさ溢れる女性で人生の先輩のような人です。

    彼女から教わった多くのことのうち、私が常々意識していること。ビジョンを描き具現化に邁進する際、必ず最後、現実の市場というフィルターを通して確認すること。これは上司から直接言われたことではありませんが、私はそう理解し骨の髄まで染みこんでいる考え方です。そこに義父からの「自分が今どこにいるのかという出発点を見誤ると、うまくいくものもいかなくなる」というアドバイスがついてきます。今春、とある方にお願いし、群馬県のものづくりの現状について話を伺う機会に恵まれました。その中でも感じたことです。

    例えば、ギフト提案。いくら目新しく魅力的で絶対にいけるだろうと思っても、3,000円、5,000円、10,000円という価格帯に落とし込めなければその企画は見送るべきという判断。その際、税抜き3,200円までなら消費者も出すだろう、3,300円ならどうか。3,000円を切ることは絶対にしない。日本の贈り物文化やギフト業界のルールを踏襲するというフィルターを通し、現実的な提案に落とし込む。イタリア食材のECサイト活性化支援という案件では、ターゲットを場合分けし、どんな風に食すかを想像した上でセット企画を提案。実際に購入し食べて飲んでみると、そのECサイト内の食材で完結する家飲みなど存在せず他にどんなものがテーブルに並ぶのかがより分かる。盛り上がれば、家にストックしてあったつまみや1人では開けるに至らなかった食材が突如陽の目を浴びる。そうすると、女子会セット企画もよいが賞味期限の長いつまみもいいと気付きます。バッグであれば、仕事で使えそうなデザインであってもA4がギリギリ入らないとなれば購入者の選択肢から外れる可能性が高い。たとえそれが製造工程での制約であったとしても、作り手側の都合は市場で支持されにくいことは想像に難くありません。であれば、違うものを作るべき。「一部の富裕層を対象に」と言っても、その富裕層に直接リーチできる手段があるなら別ですが、雲の上の話であれば出発点の見誤りです。また、有名著名な方を誘致しPRしてもらうということも見聞きしますが、当たり前ですが心から支持してもらえることが理想だと心底感じます。

    話が逸れ、恐れずさらに逸らすと、世の中にはそういった先読み先回りに長けている人が大勢いると日々感じます。今では当たり前の「あなたにオススメ」「お気に入り」「これを買った人はこれも見ました」「購入履歴」というECサイトの基本機能。そしてビッグデータからの、新規のお勧め。宿泊予約の際は、最安値プランとともに2000円分のポイント付与プラン。個人のカードで出張アレンジをする際に支持されるプランでしょうが、その意味に気付いた瞬間、最初に考えた人はすごいなとPCの前で深く感心してしまいました。
    良くも悪くも、選択肢が溢れる時代。どのメーカーから、どのサイトから購入するのか。いい大人であれば、小さな工夫や意図に気付き共感し、企業姿勢から選択することもあるだろうと考えます。いつしかアマゾンが、配送時のオプションとして「できるだけまとめて配送する」という選択肢を提示するようになりました。こういうブラッシュアップは素晴らしいし、きっと市場からの声も多かっただろうが、そこにそのボタンが実装されるまでの調整や現場整備等に尽力した人たちがいたのだろうと思うと 私の中でのアマゾンの株が上がります。
    今の商品やサービスに 小さな工夫を施すことで支持され、売上がじわりじわりと伸び出すことがある。細やかな工夫は、こちらの想像以上に記憶に残り、そのことがきっかけでファンとなる場合もあります。欧州の3つ星レストランに商品を送り、後日フォローアップのため足を運んだ際、「緩衝材の巻き方が美しく 箱を開けた瞬間溜息が出た」と言われたことがありました。間違いなく、企業姿勢(正確には当時のパートさんのお人柄による部分も大きいですが)に共感しファンとなってくれた瞬間でした。たとえ購入に至らずとも応援し、紹介してくれる心強い存在です。 また、シンガポールのミシュランシェフも数年後、私たちが初めて出会った際(私が営業に行った先のシェフだった時代)に 私がiPadに入れていった1枚の画像について、いかにそれが記憶に残っているかと力説を。嬉しくも、やや驚いた再会でした。

    私にとって、中小企業や個人事業主の方々の規模感は非常に魅力的です。 その規模だからこそ、小さな工夫や改善の積み重ねが目に見える売上の変化に繋がっていく可能性を秘めていると感じます。注文が殺到するという嬉しい悲鳴もよいはよいですが、社内を考えるとゆるやかな売上増が続くという状況が最善ではないかと感じます。特に4社目での「売上が前年比135%という嬉しい悲鳴が続いた」状態にいた経験から、そう強く感じるに至りました。そしてニッチなターゲットを設定しても必要な売上が見込める可能性があり、面白そうだなと他人事ではありますが 勝手に想像します。 大きなお金を投資し1からの改装や商品開発をする前に、見直し取り組める小さな何かがあるかもしれません。書類1枚、メモ1つ、椅子1脚、棚1段。その際、現実の市場と照らし合わせたり 人の潜在ニーズを細やかに想像してみるというステップが大切と感じます。
    私の立場からすると上司と義父からの教訓は常に意識すべきものですが、もし自分が作り手や提供側になったら、どこかのタイミングで必ず現実と照らし合わせること、そしてできるだけ具体的に想像しできれば体験してみること。作りたいものや提供したいサービスを信じて具現化することも大切ですが、いう間でもなく求められるものを提示できた時の喜びも大きいはず。現時点では、両輪が理想なのではないかと個人的には考えています。いずれにせよ、何を作るにしてもその提示/提案方法が重要で、価格はその大きな要素の1つ。そして、期待値を上回る(記憶に残る)工夫を心がける。自分への戒めでもあります。

    ※私的な考えを綴ったエッセイです。無断での転載・複製はご遠慮いただいております。