C O L U M N

夏が終わり、秋になりました。連日、週末に猛威を振るった台風19号の残した爪痕について報道されていますが、みるみる膨れ上がる犠牲者に 恐ろしささえ覚えます。関東は深夜に風雨が強まり、私も深夜1時半頃まで眠れませんでした。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに ご家族の傷が少しでも穏やかに癒えますように。また、被災された方々の中にはまさに生活が一変してしまった方も私の想像以上に多くおられたのだと思います。こういう行動を不謹慎だとという思いと、拙いことは承知で思いを馳せると、様々な考えがこみ上げてきます。
ここ片品村には目立った被害がありませんでした。主人曰く、山々が守ってくれたという。海沿いと異なり、すぐそこの山々が壁となり 特に強風から守ってくれたということです。普段はないものねだりで海が見たい見たい/海の幸が羨ましいと思っているものの、この時ばかりは。とはいえ、片品村でも、私が知るだけでも それぞれの季節で様々な形で自然の厳しさを痛感する場面がありました。大雨による土砂災害、道路の寸断、地滑り、冬の雪崩など。それ故に国道が数か月もの間 片側通行となり、工事が続いていました。
私自身は典型的な東京育ちで、振り返ればこんな時も右往左往するばかり。お風呂に水を張り、懐中電灯や電池を確認し、食事を事前に準備する程度でした。何を片付け、どうすべきか、まだまだ判断基準が曖昧で闇雲に不安がるタイプです。

突如頻繁に遭遇することになった 自然の脅威、一説によると非常に強い台風は温暖化の影響で珍しいことではなくなるという。息子たちが大人になる頃には、一体どういった気候になっているのでしょう。
必要以上に怯えるのではなく、実体験を基に、その先の脅威を推察できるようになってくれたら。風が強い日に体をもっていかれそうになる感覚や、時間帯によって同じような風でも冷たいか痛いか両方か。暖をとりたくとも屋外で火を使うべきではない状況が判断できるか。電気がなくても あたりが暗くなっても落ち着いて行動できるか。知恵と工夫とで周囲のもので必要とする何かの代替ができるか、そしてすべての基盤となる 打たれ強く安定した精神力を持ち合わせられるか。
3歳5歳の息子たちは、毎日 10時から15時まで、外で遊ぶようちえんに通っています。またそうでなくても、外で遊ぶことが多い毎日です。ようちえん帰りも、外遊びの延長を。休みの日も川辺や木々の合間、ひらけた芝生の上で。外で過ごすと、多彩な刺激に触れる機会がより多く、予期せぬ不快感や失敗に対してもその都度本人なりに対処することでストレス耐性もつきやすそうだなと感じています。体の各部位をうまく操り動けるようになることで、すぐに泣くことも減り、周囲の様子に気付けるようになるという。
触感覚は、皮膚の感覚の受容器であり、温度や痛みなどを感じ また様々なものに触れた際の刺激や感情(触感)を脳に伝えます。一般的には情緒が安定する、危険から身を守ることに繋がる、識別することができるようになるそうです。それらとあわせて、姿勢を保ったり体の傾きを感じてバランスをとったり、力の加減を知り、そして自身の運動コントロール等が徐々にきくようになっていきます。記憶として想起できるものの引き出しを増やすことだけでなく、より多くのことを体で感じているということが重要です。体験は自分のもの、自分だけのもの。誰にも取って代わられることはないし、奪えません。
息子たちは、どんな毎日を過ごしているのだろうかと時に考える。汗がじっとりと背中をつたうこともあれば、予報と異なり突然の雷雨でびしょ濡れになることも。北風の強い日に 手がかじかんでお弁当のお箸が持ちにくかったこともあれば、虫に刺され 痛痒さに半べそをかき癇癪を起こしたこともありました。無数のトゲが刺さった、ツメが割れた、目の周囲をぶつけ腫れあがった。生傷は絶えません。ようちえんでは毎日着替えにお弁当と水筒を自分で背負い、その日の遊び場の拠点(基地)まで歩くというのは3歳5歳にはなかなかのトレーニングです。快適とは無縁の、彼らの毎日の生活で育まれるものを、私は信じています。

自然相手の生活は、自然の大きさと人間の小ささを感じさせてくれる。それは、自然の脅威に接した際に、無謀な抗いをすることなく現実的な対応へと心を自ずと向かわせてくれるものだと思います。その点では、我が家で私が一番甘いということも分かっています。

10月も半ばとなれば 秋も深まり、我が家以上に標高の高い尾瀬では紅葉真っ盛り。片品村では昼間も20度を下回る日が徐々に増えており、夜間の気温も急激に下がり始めています。例年通りであれば、来月には早くも降雪。冬を意識し始めます。冬は、長く、そして当然寒い。雪は、降ってすぐは美しい粉雪とはいえ陽が当たれば当然重い。
自然と寄り添う生活は、単一の反応ではなく多様な刺激が身近である。同じ日がなく、自然の美しさと少しの厳しさを知らぬ間に植え付けてくれる。1日1日の小さな厳しさで、少しずつ育まれるであろタフさや逞しさ。願うに、脅威はそのだいぶ先にあるものとして、まずは自然を身近なものとして捉え 親しみを持ち、そして大切にし、知らぬ間に培っていてほしい。自然と寄り添う生活で体得されるタフさが、彼らを生涯支えると願いたい。

自然体験の意味が見直されるようになって久しい。もちろん集中力や、物事へ取り組む姿勢、洞察力、課題発見能力なども培われるやもしれないが、それだけではない。自然環境が大きく変化する中、生き抜くために必要な実体験の積み重ねというそのこと自体が大きな意味をもつ時代に入っているのではないだろうかと深く思います。