C O L U M N


会社員時代、皇居にほど近い丸の内エリアに、自社として初めての路面店を出店することになり その立ち上げ担当となった。 完成した店舗は横に長く、8-10メートルほどの通路に面した側が、床から天井までガラス張り。商品の価格帯は1000~15,000円、まとめ買いすればあっという間に2-3万円になる自社商品をすべて置いているいわゆる会社の旗艦店。
引渡し前の立ち会いチェック、備品の洗い出し、本社とのやりとり、人材確保そしてスタッフ教育。スタッフ採用に関し、ある程度の裁量を与えてもらっていたが、社長から提示された条件が1つ。スタッフとなる人は、英語でお客様とやりとりができること。

巷でよく言われる「英語ができる」に求めることは、その達成目的によって大きく異なります。そして社長からのたった1つの条件が、今回のそのハードルは、相当高いと大きく息を吐き出したことを覚えています。
社会人として体得すべき仕事への姿勢や取り組み方を粘り強く私に叩き込んでくれた1社目の会社にて、1年目の2月だったか、そこから派遣社員さんの採用活動を担当することとなりました。私付きとして、私の指示とマネッジのもとで業務を遂行してくれる派遣社員の方を自分で採用しなさいという上司からの提案です。全体像が見えない中でも暗雲の中に責任という文字が見え隠れし、当時の私にはそれはそれは肩に重くのしかかる。終始私につきまとい、溜息しか出ないくせに 業務上のベターのためにはやるべきだとも分かっている。そんな腹のくくりきれない私に対し、その上司は1週間後、「そんなに悩んでるなら、その悩んでる時間を俺はその派遣社員さんに充ててほしいと思うよ」と。
そこから私を取り巻く「人」の物語が始まりました。毎週のように人材派遣会社さんからの紹介で面接を繰り返し、在職中は常時数名の方に来ていただくことになりました。苦い、歯がゆい、胃が痛くなるような経験もそれなりにし、例えば派遣会社が潰れその方にはっきりとモノを言われたり、持病が悪化したり、突然夢に向かいたいと言われたり。「人」のことはいつだって悩ましい。「誰かに頼むより自分でやる方がよっぽど楽だ」と何度終電間際の新宿駅に向かう帰り道、「溜息をはすぐに飲み込めば大丈夫」といつかの古い記憶に励まされ 夜空を眺めたことか。

当たり前ですが、社員と異なり、派遣さんやパートさんにどこまで会社が求めるかは色々な考え方があり、私もそれについては日々考えてきたつもりです。
そして私の採用は過去の反省と私なりのルールがベースとなり、ここでは久しぶりにその原則を引っ張り出して対応しました。

今回私が描いた、採用閾値(スタッフとして旗艦店で働いてくれる人のイメージ像)は、過去にビジネスで英語を使用したことがある、駐在で旦那さんについて住んでいたことがありご自身も勉強熱心なタイプである、英語での実務経験は少なくとも日本語が美しい、学生時代に塾や企業の受付業務をしていた、など。そして、年若い私から指示や指摘を受け止められること。この最後の1つが、実は案外尾を引くことがあると感じてます。中長期的にその方がいいコンディションで業務と向き合ってくださるかどうかの、一番難しい部分であったりする場合があります。英語をビジネスの場においてある程度自由に使いわけ 会話ができる人であれば、他の企業にとっても当然魅力的です。且つ、そういう人は当然ながら学習意欲も経験を積むことへの意識も高いことが多く、次のチャンスを考えています。そして、当然やってこられた自負がある。若い私からの指摘をどう感じるのか、反発されても部分的にはまあ当然と私だって思うわけです。 言語スキルが高くビジネス経験があり、さらなる習得と本人に就業の強い意思があったとしてもいいお見合いにならないケースもある。それがこういう場合です。たとえ採用に至ったとしても、早いうちに他へ移ってしまうケースです。

”英語を使う仕事です”業界の中で、ほぼほぼ無名の会社が、東京のど真ん中でそんな素敵な人を採用できるのかと。(当時は東京での認知度はまだかなり低く、ものづくり業界の中での盛り上がりと世間との温度差を一担当としてひしひしと感じていました。)
採用に関しては、きっと皆さんそうでしょうが、結局最終的には感覚を信じることにもなるわけです。喉から手が出るほど誰かに来て欲しいけれど、その誰かがいることによって次に出会えるかもしれないさらに素敵な誰かの席がなくなる。でも暫くその次の素敵な誰かに出会えなければ、私はどうするのかと。その時に ふっと決めるのか見送るのか。その人に会った自分にしか分からないし、30分やそこらで何が分かるのかという気持ちにもなる。すると、時として、賭けのような思考回路になるんです。一度採用を決めたら決めたで、確かに心はスッキリもします。あとは、その方とすでにいるスタッフと、よりスマートでお客様に心地よいと感じていただける空気を作り出し、商品を伝え 販売していくこと。そこからは、とにかくその人に全力で向き合うこと。
1つ質問をされれば、はっきりとした言葉で返事をし、加えて「過去にこういうケースがあった、こういう場合も考えられる、本社ではこういう風に捉えている、今の判断はこうだけれども 今後方針が変わる可能性だってある。だから、お客様には例えば~と伝えたり〇〇というフレーズを使うこともある」と。日本語で説明し、具体的に英語でのフレーズを確認する。過去に海外出張中であったケースを共有する。とにかく毎日、オープンした当初は 言葉通り私自身が毎晩終電で帰宅する日々でした。お店が閉まるまではスタッフとよく話し、ニュアンスを繰り返し確認し、彼女らが帰ってから自分の仕事をするという。社長にまつわる笑い話や工場の作り手、 電話でやりとりをする事務所メンバーのことも、私が知る範囲で沢山話しました。振り返れば、何の化粧水を使っているかとか旦那さんとのこぼれ話も懐かしく、また、高岡や富山出身のお客様も多く足を運んでくださり 本社工場から遠く離れた東京の拠点でも高岡や富山の話題をよく耳にしました。その度に、「すごいのは社長であり、こうして足を延ばして寄ってくださる方々の期待を裏切ってはいけない。ここは言葉通りの旗艦店なんだな」としみじみ思ったものでした。

余談ですが、アルバイトスタッフの採用とあわせて正社員雇用となる店長の面接も同時進行させ、3名の面接をしましたが ご縁がありませんでした。結局オープン時は自分で店長という草鞋を履くことを選び、程なくして日本橋と銀座の百貨店担当にもなりました。各百貨店からのリクエストで 先々の企画提案をまとめ、店長たちとはクレーム事例を共有し、各々の店舗特性を踏まえ各店舗がどこを目指すのかを明確に。
その後見つかったこの旗艦店の店長は、主人の元同僚でした。人探しの1つの進め方は自分の友人知人を見渡して、「この人に担ってもらいたい。その人がダメなら、この人のお勧めの誰か」や「この人の周りにいる人なら、きっと間違いない。まずはこの人に直接相談をする」です。この彼女に関しては「誰かいないかなー誰かー」と人探しが進まなかった数か月の間に、私がふと主人に「もう一度だけ、携帯の電話帳を見てもらえないかな」で突如急浮上した女性です。ちょうど彼女が前職を辞めて何もしていなかった時期に、タイミングよく主人が「なんで今まで思いつかなかったんだろう」と紹介してくれた方でした。

話を戻すと、最初に自分の描く最高値(仕事上の自分の分身)を背伸びしてでも描き、3か月なり6か月なりの期間を設定し、本人にも伝え、そこに向けて時間と意識をとにかくかける。包装や熨斗対応といった、店舗運営上の大切な項目は得意な人たちの力を借りる。スタッフに求めることは、雇用形態の違いはこちらの都合だけなので、妥協をしない。気付いた時点で伝える。英単語1つ、動き1つ。そのうち、ガラス張りの店舗で立ち居振る舞うことを心地よいと感じ、ある種そのステージで演じることを楽しめるようになってくれたらと思っていました。

東京であっても中小企業における「英語ができる」スタッフ探しは、なかなか難しいと感じています。任せられ、そしてその人が数年にわたりいい仕事をしてくれるかどうか。それでも一方で、組織が小さいが故に なおさら人次第で目に見える変化がすぐにでも起き出す場面や出会いたかった相手を紹介してもらえる瞬間に身を置くと、ああやはり人なんだなと深い確信へと繋がります。

しかしこう言っては元も子もないとはいえ、英語ができることもそうですがそれ以上に、その人のまとう空気感や笑顔の様子、凛としたオーラの方が、実は会社として伝えたいことをよりしっかりと相手に伝えてくれる要素になるのだと後に気付くことにもなりました。最低限の専門用語は覚えるべきですが、ゆっくりと丁寧に会話することを心がければ、簡単な単語やフレーズで十分とも言えます。例えば ニュアンスの難しい内容であれば 文字でまとめて それをご覧いただければそれでよい。何も会話で伝えるだけがすべてではない。お互いにいい大人、きっと伝わるはずなのです。実は、そういう人たちを 海外展示会のブースでも時たま見かけます。英語は単語だけであっても、雰囲気に圧倒されたり つい目がいってしまう。雰囲気に所作、そして笑顔とアイコンタクト。英語がどれほどできるかにこだわりすぎると、本当に大切な何かを見失いそうにもなる。今はそう思っています。