C O L U M N

今この文章を書いているのは、梅雨時期の貴重な晴れ日。息子2人を森のようちえんに送り出し、3回洗濯し、正午すぎ。外気温19度、心地よい風と鳥のさえずりが窓から入り、ふと窓の外に目をやると人工物ゼロという環境です。

人口4,400人(2019年6月時点)の、群馬県の最北東に位置する利根郡片品村に生活の拠点を移して早いもので5年目になりました。主人の仕事の関係でここで生活しているのですが、今思うことを書き留めます。

尾瀬の郷として知られる片品村の面積は391.8平方キロメートル、人口は4,400人(2019年6月)。面積が最も近しい市区町村は390.3平方kmの熊本市、その人口は73.9万人(2019年5月)。面積が416.9平方kmという、私の姉家族が今春まで暮らしていた宇都宮市でも人口51.9万人(2019年3月)。比べようがないほどですが、それはそれは広い土地にポツンポツンと人が暮らしているようなもの。実際には片品村も全国の過疎地と同じく、その殆どが森林エリアで、村の面積の92%にも及ぶそうです。市街地のように、家が連なっている住宅街もあれば 我が家のように隣家が数10メートル離れているというエリアもあります。
私の場合は、嫁いできたため「自然の中で生活をしたい」「都市部から少し距離をとりたい」という内発的動機がもとになっているわけではありません。また、主人の実家がこの村で家業を営んでいるため 他の地域という選択肢はない。 よって「田舎で暮らしたいが仕事があるかが心配」という懸念もなく、その点では非常に恵まれている田舎暮らしです。結婚当初は東京にアパートを借り、ゆくゆく生活の拠点とするのは片品村と見据えた中で約2年かけ 夫婦で準備していきました。

実は結婚するまで足を踏み入れたことのなかった群馬県。群馬の中でも超がつくほどの奥地に住むようになり今思えば当時驚きは幾つもありました。まず、家にも車にもカギをかけない。子供は大概、下の名前で親しみを込めて呼び捨てされます。児童館の先生もそう。あわや接触事故と思った相手は鹿だったりします。この村には、信号が1つしかありません。村内の電力は 水力発電で100%賄われていると。 蛇口から出る水は、湧き水。区役所でも市役所でもなく、役場という響きに少し萌えました。夏は、避暑地のため合宿やお泊り保育、林間学校でにぎわいます。冬以外は、 中禅寺湖や日光にぬけるドライブルートが人気です。 冬は、関東唯一の特別豪雪地帯に指定されており乾いた雪がよく降るためウィンタースポーツが盛んな村です。山奥なのに、県内外の人が行き交うんだなと引っ越した当初は、逆に驚いたことを覚えています。

欲しいものや物足りなさも列挙します。まず、書店がほしい。街に出ると、必ず本屋さんに立ち寄り、家族で大人買い。ネットでは満たしきれない実際に手に取りパラパラしたい欲求、本との偶然の出会い、背表紙から受ける刺激は都市生活の大きな大きな価値です。良質な情報やアートと文化に触れたい。子供が小さいとはいえ、欲求が存在していることは記します。 オシャレなカフェがほしい、美味しいハード系のパン屋さんもほしい。飲みに出る飲食店が少ない、タクシーもほぼない(事前に予約)。地方都市以上の田舎ではお金で解決したいと思ったとしてもその選択肢さえないことがあることを痛感。フットワーク軽く、会食に出られない。都内在住時代は週5で飲み歩き、人に呼ばれれば時間さえ合えば向かったものでした。縫うように予定を入れ暇さえあれば人に会う。結果として手帳は1年中予定でうまる、おそらくそういう生活が好きでした。

とはいえナイナイ言っているのもつまらない。楽しみ方を変える方がよっぽど健全で自分自身も楽しい。そして気付いたこともありました、 田舎は田舎で実は案外元気です。 楽しみ方も人それぞれ。毎年海外旅行に行かれるご夫婦や、高級お取り寄せグルメを楽しむご家族、車が好きで数台保有する旦那さん。仕事で富山県に半年住んでいた際も、旬の時期に早朝ホタルイカ漁に出てから出社する同僚に、驚くとともにいい意味でグーで殴られたような。今思い返しても、笑みがこぼれます。
山奥は山奥で、これはこれでいいものです。都市部のノイズや価値観が、いい意味で入ってきすぎない。 静かで、研ぎ澄まされます。 また、日本でも世界でも、田舎はどこも毎日がFarm to Table。野菜はその日食べる分だけ収穫し、多くとれたらおすそ分け。野菜に泥がついていても 庭で洗い、キャベツの葉やネギの根っこも庭で処理するため家は汚れない。包装資材というゴミも出ない。夏場は殆ど野菜を買わないと多くの友人も口にします。多く採れた野菜の保存には数々の知恵と工夫があり、その意味を理解できるようになってからは下処理にかかる手間ひま含め先人たちには頭の下がる思いばかり。スーパーに並ぶ加工品の値段に首を傾げるようにもなりました。
友人知人らは口を揃えて、「子育てにはこれ以上ない環境だね」と。本当に、その通りだと思います。 近年耳にするようになった非認知能力(忍耐力・社会性・感情コントロールの3つを中心とした感情や心の働きに関連する能力)や、GRIT(Guts(度胸)、Resilience(復元力)、Initiative(自発性)、Tenacity(執念)の4つの要素からなる「やり抜く力」)のためにも、自然の中で5感を使って大いに遊ぶことがよいと言われ、その環境が整っています。我が家も、子供達が森のようちえん(毎日ほとんどの時間を外で過ごす遠足のようなようちえん)に通うものの、休みの日も外で過ごすことが増えました。川で遊ぶ、散策に行く、重機を見に行く、庭で焚き火をする、七輪での簡単BBQ等。ようちえんのおかげで、家仕事にも積極的です。枝葉の管理、草刈り、干し柿作り、洗車、散歩ついでの山菜採り等。
大人にとっても、実は新しい価値観との出会いが豊富でした。私に関しては特に、農業と健康。パーマカルチャー、F1、農薬や添加物、常在菌、自己治癒力、ホメオパシーなど、新しい価値観に触れています。恐れずに言うと、特に食の安全には強い関心があり、今のところ購入することでの意思表示を行っていますが それ以外の関わり方ができる機会(英語の記事翻訳やエディティング)があればと思っています。

時代の恩恵は、確実にこの山奥でも享受できています。確かに、午前指定はちょっと過ぎることがあるけれどヤマトさんも来てくれる。ラジオも入りにくいが、数局は入る。パルシステムはないが、COOPはある。流通の革新には、全国の田舎がその有り難さを噛みしめていることでしょう。インターネット、WIFIのおかげで、家族や友人と、取引先と、無料で通話し放題になりました。アメリカに住んでいた25年前、時間を見ながら通話し、時にFAXで祖母らとやりとりをしていたことが懐かしく思い返されます。5Gだってこれから徐々に入るらしい。

それでも自然が今以上に破壊され、これ以上の電波や電磁波に浸る生活は嫌だなと思い そう口にしたら、先日お時間を頂戴したGoogle日本法人の元社長であり起業家である辻野氏が「もともと世界の技術革新や進歩は生活の質の向上のためだった。しかし今その弊害や懸念が指摘されるようになった。しかしそれらマイナス面にばかり目を向け新しい技術や概念に否定的になるよりも、 どう使いこなすべきかに取り組むべきだと思う。今また人間の叡智が試されているのではないか」と。どう使いこなすのか、どう付き合うのか。大都会の、海の向こうの、大企業だけの話ではない。こんな山奥の日々対峙する事象にさえ通じる考え方。物事に向き合う際の、1つの指針となる言葉です。

子らは外で遊べば、大抵程なくして泥まみれ砂まみれ水まみれか雪まみれ。洋服には落ちない汚れが残り、ズボンには穴が空き、靴はすり減り靴下が顔をのぞかせます。一張羅をとっておくこと、よき友達に相談する(譲ってもらえないかと)ことで対応しています。躾において、細かいことを言い続けては子供も私もお互い身が持たないと諦めたことも多々あります。あのまま東京にいたら、2人の息子への関わり方は明らかに違っていた。見栄っ張りでプライドが高く周囲の目を気にする私が、さらに表に出ていたはず。この村の豊かな自然が、私を解放してくれたとも言えます。

私の山奥での生活は、山奥だけの生活ではありません。山奥を拠点とし、時たま山から下ります。子供の成長やタイミング、夫婦のバランス次第で、今後もその頻度や長さは変わりその点においては柔軟にいたいと感じています。 また、友人知人も、実は結構訪ねてくれます。人は思った以上に、移動している。当たり前だが、毎日、何万という人が公共交通機関で県を国をまたいで移動する。もちろん、移動しない人もいるが、私も全国に、世界に、再会を楽しみにしたい人が沢山いる。主人や息子らを会わせたい。いつかいつかと先に延ばしにせず、1つ1つ実行に移すかっこいい母ちゃんでありたいです。